京都に住んで9年経った(1)養われる土地勘
京都の桜が散り、大量の観光客がちょっとハケて新緑が美しくなる頃になると、「ああ、また1年経ったなあ」と心の中でひそかにカウントしています。2017年のゴールデンウィークの頃、東京から京都に引っ越してきてから、なんと丸9年が経ちました。ついに10年目に突入です。
福井生まれのわたしは、18歳で関東に移り住み、東京・千葉・神奈川で二十数年を過ごしたのちに、40歳を過ぎてからエイヤっと京都にジャンプしてきたいわゆる「移住組」。田舎育ちながらも10代から長らく関東圏で生活していたので、引っ越してきてからの「関西であること」「京都であること」のあれこれには、新鮮で興味深いことも多くありました。
ふと気に留まったことを書き留めたメモ書きも、ずいぶん長くなったままだったのを、ここで一旦蔵出ししてみようかと思います。ちなみになぜこんな中途半端なタイミングなのかというと、3年目くらいから毎年書きそびれていたら、いつの間にか6年が経過していただけの話です(ドヤ)
なお、まず最初に留意事項。
これはあくまでもこのような経歴を経た、一介の「外様(よそさん)」であるわたしの個人的視点であることをご考慮いただきたい。「京都」という場所は、こういう素人のちょっとした感想に対してもマウントや指摘や粗探しが湧きやすいことをよく存じ上げております、ゆえのエクスキューズです。ほら、もう「京都的」ですやろ?
養われる土地勘
京都に来て10年目にもなると、ようやく街のいろんな場所が「用事」や「思い出」と結びついて頭に入るようになってきました。俯瞰で見ていた地図が、やっと地面の高さに降りてきた感じというか。いわゆる「土地勘」というやつです。
この言葉、もともと刑事さんが地域の事情に明るいことを指す警察用語だったとか。地域特有の地理や住民の生活習慣などを指している、とググったら書いてありました。
「土地勘」って、生活によって養われていくものだなと思います。
東京だって、そうだった。
上京したばかりの頃は、休みのたびに雑誌を見て下北沢へ古着を探しにいき、新宿へライブに行き、渋谷のCDショップを巡り、「知っている範囲」を広げていたものです。そのうち生活が変わるにつれ、友達んちの四ツ谷、バイト面接で秋葉原、結婚式で表参道、みたいなもっと生活に密着したチェックポイントが増えていって。
個人的にはライブで覚えた地理も大きかったな。幕張サマソニ、新木場サンセット、上野からひたちなかへ向かう夏、ZeppにBLITZにリキッドルーム。さらには終電で降りそびれて知らぬ土地、爆睡山手線でぐーるぐる、誰それを介抱して途中下車、みたいな意図しないイベントで細かい駅や路地まで深掘りされたりもしたものでした。東京では5回引っ越しました。卒業して就職して専門行って転職して退職した。そうやって生活の中で得たたくさんの点と点が、そのうち面となって「土地勘」になっていったものです。
京都でも、ようやくそんな感じ。 点が少しずつ増えているところ。
ただし若い頃とは、だいぶん中身もペースも違うけれど。

祇園白川のあたり。京町屋もずいぶん見慣れました

出町ふたばは豆餅だけにあらず
思い返せば京都に来たばかりの頃は、雨が降るたびに「湿った木の匂いがする!」と感動していました。木造の町家が多いからだと思う。東京にはなかった匂いが街に漂っていて、雨の日になるたびに犬みたいにクンクンしてました。
でも今はもう、あまり匂いも感じない。
あの頃の「全部が新鮮」という感覚を、たまーに懐かしく思い出すくらい。
観光名所にも、だんだん感動しなくなった。
二条城裏の公園に行き、京都御所をショートカットに通り抜け、東寺の五重塔を横目に畑を耕し、平安神宮のフリマに行く。清水寺や嵐山にはむしろ極力近づかない。観光地が「日常の背景」になっていきます。
むーさんが赤ちゃんの頃は、とにかく「鳩と石」が好きだったので、その両方の条件を満たす壬生寺には大変お世話になりました。たびたび新撰組ガチ勢の歴女の皆さんが聖地詣にいらっしゃっていたなあ。人だかりを見て「今日は何かあるんですか」と尋ねると「今日は山南さんが〜」と、まるで普通に生きている人のようなテンションで説明してくれる。あれはかなり良かった。推しは時を超えて尊い。
鳩と石を求めて、東本願寺や西本願寺にも連れていきました。北山の植物園で歩く練習をさせて、岡崎の動物園に出かけました。梅小路公園のSLの汽笛の音を五条のロイホに行く道すがら聞き、「京都タワー、今日は何色かな」と遠目に確認する。母が亡くなったときは法務局のある荒神口に通ったし、土曜でもやってる三条の郵便窓口に随分世話になったのを思い出します。
そういう個人的な出来事が、少しずつ街にピンを打っていきました。

壬生寺で小石とたわむれるちいさなむーさん

5年後、鴨川デルタの飛び石を渡るむーさん
毎日「丸竹夷(まるたけえびす)」を心の中で歌って通りの名を覚え、なんとなく京都の東西南北のスポットがおおまかに頭に入りだすと、今度はこどもが大きくなるに従って、育児都合でいろんな「店」に詳しくなるターン。
異常な頻度で100均に行くので各所のダイソー、セリア、スリコ、キャンドゥを調べました。サイゼ、スシロー、ユニクロもしかり。ペーパードライバー講習の甲斐なく一生ママチャリ移動なもので、あらゆる駐輪場の場所を把握しています。
夜飲みに出られなくなってからは、昼飲みができる店に詳しくなりました。正直バカ詳しい。何も言わなくても「今日もきゅうり漬けですか」と聞かれたり、スパークリングが出てきたり、「お久しぶりすね」と話しかけていただける店もチラホラとできました。
その時々のニーズの積み重ねで、「土地勘」は養われていくのでありますね。

ロームシアターの駐輪場ただの空き地で最高

夜なら無人。いいショートカットの錦市場
ただ、わたしが京都に来てからの生活範囲はとても狭いです。 京都自体のコンパクトさについてはまたあとで改めて触れるとして、市内中心部に生息しているがゆえに全部その辺で事足りてしまう上、社会との接点が育児一点集中なので、あいにく「せっまいせっまい(京都の人は強調するときに形容詞を2回言う)」ダウンタウンエリアの土地勘しか、ありません。
引っ越してきたころはオーバーツーリズムが問題になるほどの人の溢れようで、わたしも嬉々として1年ほどは広域観光にいそしんでいたけれど、まもなく出産、ほどなくコロナ禍となり外に出ることも憚られるようになり、小さな赤ちゃんを抱いてマスクをして生活する鬱屈とした数年が京都歴の半分近くを占めているせいも、あるかもしれません。
そんなわけで、いまだにGoogleマップと共に暮らしています。
毎日のように、カフェ近くにないかな、駐輪場あるかな、営業時間何時からかな、この辺にパン屋あるかな、コロナ禍で閉業してないかな、など都民だったときの50倍マップを見ている気がします。これは、東京のように電車で大きく移動するよりも、小さいエリアで細かい店を探すことが多くなったからかもしれません。
そういえば京都に越してほどなく、Google検索でお店やイベントを調べるときに「東京」とあえて単語を入力しないと東京の店が出てこなくなりました。Googleが位置情報や履歴からわたしを「京都ベースの人間」と認識したわけです。うわあ、アルゴリズムについにこちらの人と認識されたか!と実感したあれは、地味ながらなかなかに衝撃だったなあ。
わたしはこの9年間で行きたい場所や行ったことある場所などを、地理の勉強がてら無尽蔵にピン打ちしてマーキングしていました。数年で狭い京都エリアがビッシリと目印で埋め尽くされ、後戻りができないほどの惨状になっているのは既にブログでも書いているのでご存知かと思います。地図なのに京都市内全域ピン地獄でクソ見づらいです(自業自得)。

俺のGoogleマップ

大検温所があった頃の秋の永観堂

とらやの雑煮は本田味噌の白味噌だよね
「どこに何があるか」「どう行けばよいか」がザックリとわかる。ドラマや映画に出てくる撮影場所や店はおおかた「あそこだな」とわかる。地域民のナレッジはないけれど、生活地図を描けるようになった点においては、わたしもまあぼちぼち京都に土地勘がありますよ、なんて言えるかもしれないね。
観光客として歩いた京都はとても広く感じたけど、今のわたしの京都は個人的でものすごく狭い。御池で病院に寄り、烏丸でバスに乗って河原町で買い物をする。祇園は駐輪場が少なすぎるので行きたくない。出町の豆餅は1ミリも並びたくないので大丸や伊勢丹で買いたい。錦市場でお花を買い、寺町にレイトショーを見に行く楽しみ。そんなささやかな用事や思い出が少しずつ街にピンを打っていく。
そうやって、気がつけば京都は「訪れる街」から「暮らす街」になっていたんだなあと思います。
もうわたし、「烏丸御池」のイントネーションは”マツモトキヨシ”だったのを”明石家さんま”で言えるようになりましたえ。
次回「ザ・コンパクト京都」につづく。
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