東京弁当生活帖。ができるまで(地獄の弁当合宿〜前編)
「東京弁当生活帖。」ができるまでのお話。この本に出てくるお弁当は、ほぼ全部実家で作って撮影したものです。「イチからつくりましょう!」と宣言(前記事参照)したはいいものの、そうなると福井に長期逗留するしか実現の手立てはなかったのでした。
キッチン環境の大移動
8月初旬から福井での弁当合宿がスタート。うちの実家の台所は広いから作業スペースが取れる、ファミリー用冷蔵庫なら下ごしらえやまとめ買いにも耐えうる、そして何より作っても消費してくれる胃袋の数がある!ということで、ひとりでは到底無理な条件がすべて解消されるのが実家、というわけなのでありました。ひとり暮らしだと、この量は作っても捨てるか駅前で不審な売り子になるかしかないっしょ。いやっしょ。
まず東京から弁当箱や保存容器、ヘラやトングなどの台所用品、小鍋やたまご焼き器などの道具類、バンダナや手ぬぐいなどの布関係などを一切合切段ボールに詰め込んで送付。実家って鍋やキッチン用品も全部デカいから、小回りが効かないのよね。さらに、テフロンフライパンが無いというのが発覚してホームセンターまでビタクラフトのテフロン加工を買いに行ったりしました。
作りながら考え、考えながら作る
ひとまず作りやすいものから作り始めました。すでにメイン(及びピックアップ)はざっとリスト化してきたわけなので、これらと一緒に詰めたり添えたりする副菜やデザートなどを考えます。なるべくかぶらないように、色々なお弁当箱を使えるように、彩りもそれなりに良くなるように。うーむうーむ。
花形人参はまとめて作ったれ
むこう数日間分のメニューを夜な夜な考えてメモに書き出しました。食材はなるべく流用できるように、例えばほうれん草は三等分しておひたし、たまご焼き、ナムル、に使うなどという具合で。メニューが決まったらスーパーの買い出しリストを作って、これを握りしめて出かけ、翌日の下ごしらえ、というようなあんばい。
この通りに行かないことも多々
このループをひたすら二ヶ月やっておりまして、後半になるとだいぶリズムも出来てきました。(朝)お弁当づくりと撮影、(昼)追加買い出し、(午後)お弁当づくりと撮影、(夕方)休憩して写真整理と買い出し、(夜)メニューメモづくり、という弁当ロボおばさんのできあがりです。頭の中で「ひとり弁当100本ノック」というワードが離れません。打てー!走れー!取れー!
毎日の献立表化
状況に応じて1日3〜7個。ずっとつまみ食いしているので一日中腹が減りません。台所の扉に張り出したメニューメモは毎日替わります。撮影が終わると「よし。」とベリッと剥がされ、握りつぶされて即ゴミ箱に。当日の計画をすべて終えたら即座に翌日の計画メモを見て準備や必要食材を考えます。
ここで自作の新しい管理リストも稼働します。各ページのフルメニューを記載し、製作日、着手や準備中や終了などのステータス(ステータスごとにセルの色も変更)、使うお弁当箱(途中から書くのめんどくさくてやめた)など。全部が緑色になったら終わり、というわけ。A型炸裂!
食べさせられる人たち
毎日毎日出来上がってくる弁当おかず。一人前を作るのは逆に至難の技なので当然大量にいろんな種類が余ります。これらを消費する家族たちは「今日はこんなのが出来上がってくるらしい」と献立掲示板として毎朝チェックして仕事に行くようになりました。給食やん。
おかずビュッフェ
パン類は朝食に回すとハケる
弁当箱もそのまま
みんな出かけてハケない場合も
田舎はお昼ごはんを自宅に戻って食べることも多いので、弟(一番のお得意様)が昼食や夜食に猛烈に消費してくれたり、妹がおやつを職場に持っていったり、おかげさまで何とかして大抵のものは家庭内で消費されました。あとがきに書いてあるのはこんな顛末があって、というわけです。
さて、こうして着々と出来上がっていく「東京弁当生活帖。」のお弁当写真ですが、いろいろと困ったこともありました。つづく。
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