育児日記

不定期ダイアリー「子育て惑星」〜息子のむーさん

不定期にしては時間が経ちすぎましたね。
子育て惑星ジャーニーは、気がつけば出発から既に10ヶ月が経ってしまいました。昨年の今頃、これが最後とばかりにそこそこ大きなお腹を抱えて京都のあちらこちらで食べ散らかしていたのが、この蒸し暑さと共に懐かしく思い出されます。人の家の子はあっという間に育つもんですが、自分の家の子はというと、まあ確かにあっという間ではありますが、未経験のイベントと常に向き合わざるを得ない毎日なので、1年が光のスピードで過ぎていた会社員時代よりは随分時間が長く感じられます。ええ、久しぶりにまっとうに長い1年だったかもしれません。

まだまだ毎日こびとづかん

なんだかいまだに子供のいる実感は無くパラレルワールド感は拭いきれません。「わーなんでこんなちっこいのがいるのかなー」とふと客観視もするし、西松屋で買いそびれた例の母性はいまだに噴出することなく、インスタでたくさん絵文字のついた同期ママの投稿を目にする度に、どこからこの無邪気なテンションが湧き上がってくるのだろうかととにかく不思議です。年齢のせいかしらね〜と思ったりもしましたが「いや性格やろ」とシンプルに友達に指摘されました。ですので「子供がいる」というより「小さいお友達が同居し始めた」という感覚で、ゆえに「可愛い」より「なんて興味深い」の方が勝ります。

IMG_5866 icon-camera おもちゃ。滅びた原住民ヤマナ族の編みぐるみ(ヨウさんの南米土産)

ということで、どうもマインド的にはまだまだ片足が未婚おひとりさまの向こう岸に残ったまま、特技のグーグル検索を小脇に抱え、思考錯誤しながらルーティンワークが毎週アップデートされています。子育てというより「人間がゼロから形成されていくさま」というのは実に興味深いですから、日々のささやかな光景が人間の成長のグラデーションを間近に観察できる「いきものずかん」そのものであることは面白くて幸運なことかなと思います。

プチおじさん、息子のむーさん

さて、ここで主要キャラクター「息子のむーさん(愛称)」を紹介しておきましょう。前回ダイアリーを投稿したときはちょっとずっしりしたカンパーニュぐらいのおとなしく静かな生き物でしたが、もうすっかり人間ぽくなってしまいました。進化ステータスとしては、ズリバイ高速移動やつかまり立ち、歯が生えまくってきた段階です。最近朝は5時台(下手すると4時台)に起こされます。もうどうせルンバみたいに移動するなら全身ダスキンでも着せておきたいところですがそうもいかないので、毎朝床をせっせと拭き掃除するのがモーニングルーティーンです(お母さんは潔癖症)。

出来上がってる赤さん

出産後数ヶ月して段々外出がかなうようになり、よそ様の子供の様子がわかるようになると、うちのむーさんがどういうキャラクターなのかが相対的にわかるようになりました。個性やクセ、というものは生まれながらにして授かっているものなのか?似てる似てないの前にそれがたいそう不思議です。

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初期のむーさんはとにかく赤ちゃん感の薄い坊やでした。産まれた瞬間から眉間にシワを寄せ、顔立ちは長らく二階幹事長にそっくりで、量のしっかりした髪の毛は自然とフォーマルな七三にセットされて入閣間近。成長曲線(子供の平均的成長範囲を示す身長と体重のグラフ)の上限ギリギリまで駆け上がるほどのずっしりとした重さながら、愛らしいちぎりパンむちむちボディとかではなく、ドーーーンとデカくてスーーーンと動じない態度と風貌。行く先々で様々な人々に「なんかもう出来上がってますね」と言われました。友達に写真を送れば「成熟感wwwww」とひと笑い掴んだあと「あーここ地球ねハイハイ」というアテレコが返ってきますし、キャップをかぶせれば耳に挟んだ赤鉛筆が見え、そもそも子供らしい可愛いデザインやポップな色が驚くほど似合いません。「なんか・・・赤ちゃんぽかったの二ヶ月ぐらいだけだったね・・・」と親が遠い目をするぐらい、早いうちから中に52歳ぐらいの人が入っていたプチおじさん。それがうちのむーさんの黎明期でありました。

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0歳児は二ヶ月前の写真を見返すと「だれだおまえは」と思うほどに毎月別人レベルの成長ぶりですね。残念なことに新生児期はフォトジェニックな瞬間が非常に少ないせいか、それともわたしが乳首地獄を半裸でさまよっていたせいか、写真や動画の記録が極端に少なくて後悔しきりです。最近はようやく幹事長感も抜けてきたので、遅ればせながら子供らしさを挽回していきたいところなのですが、むーさんは今日もベビーカーから半身を出し、前の手すりに両足を投げ出して座る横着スタイルなので、すれ違う人にいつもクスクスと笑われます。「なんか出来上がってる」「デカイ」彼のふてぶてしさはもしかして母譲りなのではと思いますが、見た目はこれまでほぼ一度もわたしに似てると言われたことがありません。さあどこで出てくる、わたし要素。

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 icon-camera スケキヨスタイル

ちなみに、彼と話をするときの主たる言語は7割ほどが福井弁です。比較的流暢なはずの東京弁も、こちらでメインに使っているなんちゃって関西弁も、子供がいると全く出てこなくなってひたすら福井弁になってしまうのはこれがマザーランゲージだということの証明でしょうか。母語ってこんなに強烈に刻まれてるのね・・・むーさんはそのうち京都弁を話すのかもしれませんが、わたしはその横でいつまで訛りまくっているのでしょう。こわいこわい。これは地方出身マザーあるあるなのではないかと思っています。

いつもスーーーンでありがとう

むーさんはどうもかなり育てやすい種類の人らしく、ここまでほぼ、病気もなく吐きもせず漏らしもせず後も追わず、よく食べよく眠り、外食に出れば行きで寝て帰りに目を覚まし、お店やバスではスーンとしており、と非常にありがてえお子さんです。これは生活の自由度の継続という意味においてはとても重要で、「おとなしくしててな」と鍵善良房で葛切りを食べたり、タリーズでスマホいじったり、無印で試着しまくったり、が引き続きある程度可能であることは、子持ちの実感がいまいち無いほどケロリと子育てが出来ることに大きく影響しています。世の中には精神的に追い詰められるお母さんも多い中、中年家庭のカロリー低めな子育ての空気を読んでくれてありがたい。(注:あくまでも現時点までは、ですが)

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とりわけ外出でトラブったことがない気持ちの緩みから、通常は着替えやら何やらで膨れ上がっているらしいマザーズバッグの代わりに、ポシェットひとつで出かける軽装おかあさんがわたしです。ちなみに一人旅で持ち物を小分けするのに使ってたナイロンポーチ、今はオムツ入れになっています。嗚呼、時間の流れ。

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わたしもあなたも手間がかかっている

この10ヶ月でたびたび思ったのは「人間が育つにはどえらく手間がかかる」ということです。お金や時間もかかるけど、とにかく「手間」、これは手間をかける側になってわかる感覚というやつですかねえ。むーさんはもちろん、自分も、そしてあなたも、そこを歩いてるおじさんも、誰かにどえらい手間をかけられてここまで育ってきたと思うと「よくぞここまで・・・」という尊みがすごい。はあちゅう氏(子供1ヶ月違い)も以前インスタで全く同じことを書いていて共感したことがあるので、これは新米母さんのテンプレ的思考かもしれません。

しかし一方で、人はそれだけのどえらい手間をかけても偉人にもシリアルキラーにもなりうるわけなのがシビアな話で、手間と言っても正解は無く、すべてに等しからず、どれも正しからず、ですね。その辺も含めて、わたしもあなたもよく手間をかけられてここまで生きてきたもんだと思いますよ、よしよし。尊い尊い。

うちの子、いま何ヶ月何日です

昔は、子供の年齢を尋ねられた親御さんが「3ヶ月と1週間」とか「あと5日で4ヶ月です」とか日単位で細かく子供の月齢を把握しているのがなんだか不思議でした。しかしいざ当事者になると、いつまでにこの注射してこれを食べさせてこれが出来るようになるはず、なんていうタスクがわりとびっちり課せられてくるので、現在地をきっちり把握せざるを得ない、ってのがなるほどわかりました。

もちろん、慣れない生活の中で一ヶ月一ヶ月を指折り数えるようにして100日経った、半年経った、とピンを打っていくお母さんの気持ちもありましょう。わたしは「月命日のようだわ」と思ってましたけど(こら)、みんな毎月子供の産まれた日付に「さあ、○ヶ月!」とフウと汗をぬぐって階段を登るわけなのです。まったくこれは、たしかに子育てジャーニーにほかなりません。

旅と言えども、よっこらよっこらと宇宙船の中で階段を登りながら、ふと外の景色が変わっているのにようやく気づくようなせわしない惑星の旅、まだまだ果てしなく長いものでございますね。今月一段登って、来月もまた一段。ちょっとづつ頑張って上がりまーす!

血の池乳首地獄、その後

さて、出産直後からわたしが彷徨っていた血の池乳首地獄、その後どうなったのかお話していませんでしたね。(詳しくは前回のダイアリーをご覧ください)どうやら極端に皮膚が薄かったらしいわたしの乳首は風が吹いても痛いほどの重症で文字通り地獄の日々でしたが、その後3ヶ月目頃にまるまる1ヶ月大風邪をひいたところから風向きが変わりました。

なにせ授乳中だったので、風邪を引いても最初はだましだましの漢方や弱い病院薬だったのですが、一向に回復の様子が見えなかった為、授乳を10日間ほど中止して服薬することになりました。すると、まあどうでしょう、あっという間に子は飲み方を忘れてすみやかに哺乳瓶にアダプトしたので授乳がなかなかの困難作業に。更に乳も「もういいんすかね」とばかりに最盛期を終えてしまい、みるみるうちに枯れ果てていくではありませんか。なんという生物の適応力よ。

この状況を打破すべく、乳腺炎でお世話になった助産院に通ってせっせとマッサージをしていただくも、枯れた井戸に水が戻ることはなく、なんとわたしの授乳生活はたったの5ヶ月かそこらでフェイドアウトして幕を閉じたのでした。普通は1歳ぐらいまで(お子さんによってはもっとずっと長く)続くうえ、友人たちから断乳や卒乳の大変さなどもよく聞いていた私にとっては随分早くあっけない幕切れ。こうしてわたしの乳首地獄は幸か不幸かあっさりと終了致しました。

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 icon-camera 助産院でもスーンと待っていた

振り返れば短い期間ですが、それは終わりの見えない絶望的な数ヶ月でありました。壮絶な痛さに涙が止まらなかったマッサージ(乳房の中にレゴブロックが入ってるみたいだったのマジ一生忘れないわ)、インフルを軽く上回る高熱、風呂上がりにタオルで拭けないほどヒリヒリの激痛、牛の気持ちがよくわかる電動搾乳機、こだわりのお産するとこ?ぐらいの認識だったけど実は母乳外来としての役目が大きいと知った助産院。しかも、謎の殺菌水買わされたり見たこと無い医療用馬油とやらを塗られたり割と口伝系治療法が多くてツッコミどころ満載だった助産院。ああ、いまとなっては思い出がいっぱいです。

ですが、ま、お酒も好きに飲めるし早速ブラデリスでも行くかウェーイてなあんばいで、わたしにはお母さん体験教室ぐらいの短さがちょうど良かったように思います。少なくともこの世に静かに存在する透明な地獄がもうひとつあるのを知っただけでも大変貴重な体験でした。いつか「たまご」と「ひよこ」の間に「ちくび」が加わりますように。南無阿弥陀仏。

別モノだけど仲よくね

日々進化していく子供の面白みは、未踏の地へ向かう旅のエキサイトメントとはまた違ったベクトルながらもそれに勝るとも劣らないワンダーがあって良いものです。旅行とか行けないのツライなあと思ってたけど、しばしの辛抱も飲み込めるだけの効力がこのワンダーには確かにあるらしい。さくらももこが出産後に描いた漫画にこんな一コマがあります。

「おかあさんになるってどういうかんじ?子供のために人生ささげるってかんじ?」
「冗談じゃないよ わたしの人生はわたしのものだよ この子の人生とは別モノだからね でも仲よくしていきたいね」

あたしゃまったく同感だよ。むーさんはむーさんで早いとこ自分のことは自分で頑張ってもらって、わたしはわたしでやらしてもらいたいもんだよ。別モノだけど仲よく、って言うの忘れないようにして一緒にぼちぼち旅していきたいもんだね。

次回「あつまれ メルカリの沼」につづく。

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