勝手に誕生日休暇 in 長崎(軍艦島上陸ツアー)
長崎3日目、最終日は軍艦島ツアー。
その存在自体は知っていたけどそういえば長崎だったっけかぐらいで詳しい島の歴史背景も知らず、どちらかというと建築趣味や廃墟オタクの好むスポットという認識だったのに、なんか「るるぶ」や「まっぷる」にもガッツリ出てくるのでじゃあ行くか、てな感じでライトに参加した次第。
朝6時半起床。昨晩寝落ちして風呂に入れそびれたので朝イチで貸切大浴場。昨晩買った荷物を何とかリュックに詰めてひとまとめにする。7時45分チェックアウト、出島を横目に徒歩で長崎港へ。今日の最高気温は14度、リュックサックを背負っている身としてはコートの有無で動きの軽さが全然違うので今回の気温はとても助かる。ツアー船から今日は出港しますとのメールあり。
軍艦島ツアーは五社ほどが許可を受けて運営しているようなのだけど、ちょうどオフシーズンの今時分はメンテナンスという名の休業期間になっているとこも多くてかろうじてこの日から営業を再開した「やまさ海運」さんの上陸ツアーに運良く参加できた。船も一番大きくて、若干三半規管に不安のあるわたしにも安心。午前の便は朝イチ8:30に長崎港集合、9:00出港。ちなみに上陸コースは150分4200円。
長崎港ターミナル、右は昨日登った稲佐山
チケット窓口。このあと大混雑になる
コインロッカーに荷物を入れて軽装化。こんなオフシーズンに人がいるのかと思いきや、団体ツアー客や家族連れでなかなかの賑わいぶりでビックリ。さすがに長崎屈指のヘリテージツアー、とても注意事項の多いツアーで万が一のときに備えて誓約書を提出し、上陸できるかどうかはその時次第であることを何度も繰り返され、上陸もちびっこは船内待機、上陸中も時間制限があるのですみやかに移動すべし、と様々な同意事項が必要とされる。船が自由席なので、お支払いを済ませた人から、船の前に並んで待つ。
それにしてもただの廃墟を見に行くのにこんなに老若男女が集うものかと自分で参加しておきながらも非常にシュールな気持ち。やっぱあれよね「軍艦島」(外観が軍艦土佐に似ていてそう呼ばれたのが由来)っていうネーミングの勝利じゃないですか。端島(正式名称)だったらこうはいかないと思うから、結果秀逸なコピーライティングになってる。
誓約書を出して、上陸料310円は別途現金支払い
何度も繰り返される注意事項、上陸はあくまでも接岸時の天気次第
自由席なので我先にと並ぶ皆さま
9:00、いざ出港。
せっかくなので2階のオープン席に上がり、進行方向左手の1番外側に陣取るもどうやら往路は右手中心に案内されるらしく早速の選択ミス。しかも昨晩の雨でタープに溜まった水が出発と同時に吹き飛ばされて左手の人たちは水しぶきをかぶりまくる始末。早速ズボンも上着も濡れて萎える。寒い。ううううう
右手に見える数々の護衛艦や造船所や島々が紹介されるアナウンス。こんな船だらけの風景見たことないねえ、長崎だねえ。天気は徐々に回復して晴天が覗き始め、30分後軍艦島が見えるころにはまさかの快晴で到着。接岸時の波の高さ0.5m以下が上陸の条件なのでみんな「大丈夫かなあ上陸できるかしら」なんて心配していたけど、わたしは知っている。しれーっと港を出た時のアナウンスで「現在は条例見直しのトライアル期間で0.8m以下になっております」と加えており実際は大幅に条件が緩和されていることを。上陸ね、絶対しますよこれ!させる気マンマンやと思います!
岩場には渡し船でも借りてよじ登ってきたのであろう絶対に違法な釣り人が観光船に手を振っている。いやお前ら違法でその態度はなんだと思ったけど、後で調べると結構グレーゾーンで長年ごたごたしているらしい。いやあそれにしても・・・軍艦島って遠くで見ても異様だけど近くで見ると本当にド廃墟なのね・・・これはなかなかだ。さて、上陸はしれっと予想通りOKとなりました。よかった!
天気予報とは裏腹に回復する天気(女神大橋)
見えました!軍艦島!
うわああ・・・めちゃくちゃ廃墟だな・・・
3グループに分かれて上陸し、3箇所の観覧ポイントを入れ替え式に周ります。観覧ポイントはいずれも島の表側の一部だけなんだけど、ガイドさんが各所で当時の様子や建造物について解説してくれるので脳内できっとこんな生活だったんだろうなあという想像が巡ります。
軍艦島は端的にいうと三菱の海底炭鉱の拠点で、明治終わり〜昭和にかけての近代化で重要な資源であった石炭を発掘する人々と家族が暮らしていた場所。一般平均の4倍くらい給料貰ってたらしいですが使うところもないので、三種の神器は所持率100%、日本で最初のエレベーターや鉄筋マンションに病院学校映画館神社など充実した施設が揃う完全都市として繁栄し、最盛期には5000人以上が暮らす島となりましたが石油へのエネルギー移行に伴って1974年に閉鎖されその特殊な姿を残したまま現在のような廃墟島となっているわけでございます。2015年から世界文化遺産。
三つある観覧スポットを順番に見学しますぞろぞろぞろ
ガイドさんのお話を聞きながら島の歴史をお勉強、この辺は炭鉱の入口
島の裏側の住居エリアにまわる
島の裏側は居住エリアで当時最先端だった高層マンションも海の荒れたに日はこれを越えていくほどの高波が寄せていたから窓が小さくて木枠なんだって。地下には映画館があって無料風呂も島に三箇所あったとか、真水が貴重で最後は本島からついに水道を引いたとか、行商の船から生鮮品を買って毎回完売だったとか、ガイドさんの説明を聞くたびに「はーーーーー」という声があちこちから漏れる。いやー本島からまだ近いからいいけど、それにしたってこんな小さな島で海に囲まれて物理的にはめちゃくちゃ豊かな暮らしってバランスの偏り方がすごい。
話の中には何度も子供たちの話が出てきて、それが一番印象深かった。草木1本無いコンクリ島で植物の育ち方を知らない子供たちへの教育のために隣島から土を運んで野菜を植えた話とか、小中学校の窓が他の建物よりも大きく光が入るようになっているとか、海水プールがあったとか、こんな特殊な環境で育つ子供たちがたくさんいたんだなあ。
人の営み、多くの中国朝鮮人労働者、発展と衰退、戦争や原爆。廃墟の迫力とおおいかぶさってくるような分厚い歴史にただただ「はーーーー」と圧倒されるばかりでありました。
日本最古の鉄筋高層アパート30号棟、もう崩壊が始まっていて時間の問題らしいです
知れば知るほど特殊な歴史でした
中央の建物の屋上は保育園だったんだって
三箇所見学したあとは船に戻って外海からの周遊見学。こちらは途中で向きを変えるので右からも左からもご覧いただけるとのこと。往路での失敗を教訓に、最終ポイントでのガイド終盤にはさささと船側に移動しておいたので素早く入船して右舷のベンチを確保しました。やっぱり軍艦島は外海から見る姿こそがいかにもそれらしく、印象深いもんですね。やっぱ海の真ん中にこのビジュアルは普通じゃないよなあ。
島へ渡る通路一番怖かった
上陸観光のあとは島の周遊へ出発
帰りはベスポジを確保していたので撮影しまくり
帰路は上陸時に立ち入りできない住居ゾーンも船で裏側に回ったときに見られます。ババーンと立ち並ぶマンションやら学校の建造物が詰まっているので廃墟の圧が圧倒的。神社のお社も見えます。場所が場所なので錆びてどんどんこれが崩壊し始めているそうだから興味のある方は早めに行かないと(天気のリスクはあるけど)もう同じようには見られないときが来るかも知れないですね。こういうのって少しずつ崩れるんじゃなくて、どこかのポイントが崩れたところでジェンガみたいに朽ち落ちてしまいそう。
島の裏側、上陸できない居住エリアにまわると廃墟感がすごい
島民が住んでいたマンション群、これを超えていく波って恐ろしいな
やっぱり外から見たビジュアルがすごいです軍艦島
今回はたまたま「やまさ海運」さんだったんだけど、他にももっと小回りの効いて値段も安いプレジャーボートみたいなのもあって「軍艦島コンシェルジュ」の派手な船とかも見かけました。ただ、乗ってみた感想としては結構船が大きいのは安心感もあるうえ(トイレもあるし)、写真撮影するときに単純に高さがあるのってポイントかなと思った。デカい船の2階に(寒いけど)陣取るのは島の土台の高さを考えるとアリかもです。
船の2階、左右向きを変えて周遊してくれます
船の1階、ゆっくりできる席
興味深いツアーだった、ありがとう軍艦島
帰りは素晴らしい晴天だったのだけど結構ぐわんぐわん左右に揺れることが多くて、眉間に皺を寄せながらLINEのおめでとうメッセージに返信をしていました。最近はLINEがこの人今日誕生日でーす!って繋がっている友人にゴリゴリ推してくるのですね。長崎港に戻るころには当面スタバには困らないデジタルギフト長者になっていましたありがとう。
そんなスマホ触りながらでもギリギリ船酔いの範疇には踏み込まずさして気持ち悪くなることもない程度で帰着できたのは・・・はっ!!!あれか!!!昨晩巻いてもらった手首の1円玉か!!!と途中で気づいて心の中でお礼を言いました。大将!ありがとう!多分めちゃくちゃ効きました!!!
長崎はすり鉢形の地形なので住宅の8割が斜面に立ってるんですって!うわーマジで!(船内アナウンスより)
上陸証明書いただきました
無事ツアーは終了し、楽しくおしゃべりさせていただいたお隣の東京からのご夫妻と「よい旅を!」とお別れ。港で白人男性とすれ違い、とっさに心の中で「あっ・・・オランダ人」と思ってしまったことに我ながらハッとしたところで、そろそろ旅は終わり。関空に戻ります。
もうちょっとつづく。長い。
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